こんにちは♪ クリスマスですね☆ 皆様はどのように過ごされてますか? 私は、配信終了間近な海外ドラマを倍速で横目で観ながら仕事をして過ごしてます(>_>) 最近 鑑定待機がご無沙汰気味なので クリスマスにちなんだblogをと思い 書いてます ではでは 本日もどうぞよろしくお願いします(^-^) 新約聖書の、キリスト誕生に贈り物を持って祝いに来た聖者の話をベースに、贈り物をめぐる行き違いを描いた物語を私が幼少期に読んだお話しがあります ご存知の方も多いかな?とは思うのですが あらすじは 貧しくても仲良の良い夫妻が、お互いにクリスマスプレゼントを買うお金を工面しようと 夫は先祖から自分へと受け継いだ宝物の金の懐中時計 妻は膝下まである輝くように美しい黄金の髪を持ち、夫は妻の美しい髪を宝物のように大切にしてました 夫は、妻の美しい髪をとく櫛をプレゼントとして買うために、懐中時計を売り 妻は、夫への贈り物に懐中時計に付ける鎖を買うために、髪の毛を売り 結局お互いの贈り物はお互いの思わくとは違う結果になったのですが 互いの「思いやり」が贈り物となった な、お話しです 皆様は、このお話を聞かれて 何を感じ どの部分に共感されたでしょうか? 私は、幼少期このお話を聞き 「髪の毛のびるから、妻ラッキーだよね 夫は鎖だけでしかも、家宝失って損してる」 と、親に言い 目を丸くされました(°_°) このお話しの要はそこじゃ無い! 確かに、、そこじゃ無いとは私も頭では わかってますし 長年読み継がれてる素敵なお話しなので 胸の奥が暖かくなる感覚は私も感じます ただ、現実って 結局は『思いやり』より、物質にとらわれてしまう人が 大半では無いでしょうか? 物語を読み 心が洗われるような気持ちに 一時的にはなるかな?とは 思います 今 もし貴方がパートナーに不満を感じてても 何か「思いやり」を感じた事象を記憶から引っ張り出して、物語と自身を共鳴させて 幸せな気持ち・感謝する気持ちに、なろうと 無意識を働かせる人も多いかな?と思います 一時はそれでやり過ごせると思います ですが、結局は雑多な日常に心身疲弊してしまい また、同じ不満を感じる繰り返しになります それは、互いの根っこ=幸せの基準が違うからです 物語の夫婦は互いの幸せの基準が似てるから 互いの思いやりに満足出来、一緒にいる必然性があるにしか過ぎません もし、貴方が今 パートナーとの関わりに 幸せを感じてないのなら それは、お互いの思いやり基準がそもそも違うからであり どちらが悪いとかでは無いんです ただ 違う それだけの事です 私が、上記の物語の妻だとしたら 私は贈り物の結果に対して 夫に申し訳なく多分思うでしょう 夫は、「ニコニコ行き違っちゃったね^_^」と幸せそうに微笑んでる姿を 最初の一年目は嬉しく思うかもですが 多分 年々行き違いの差は大きくなり 息苦しさを感じすれ違ってくと思います 自身が愛してパートナーに選んだ人は こうゆう人なんだ と自身が納得出来たら 関係性を立て直し続けれるでしょうが なんだかなぁ、、、と消化しきれない思いがたまるなら それは 根っこが違うからなので A 違うを受け入れ、心地悪さを違う何かで補ってともにいると腹を決めるか B. 離れて、互いが心地よく感じる場所に移行するか どちらかしかありません Cの、選択肢は無いです 満足出来る物理場を創り出すには 結局は、貴方の中に溢れる 豊かな思いやり が先に無いと 望む未来を具現化は不可能です A Bどちらを選んでも幸せにはなります 貴方が覚悟を持って選んだ未来が貴方を幸せにする未来になりますよ 覚悟を決めるは、貴方を幸せにする 自身への最高の思いやりの贈り物ですよ☆ 本日も最後まで お読みくださり ありがとうございました♪
