翔陽です。 前回の記事では、 サイキックセンスは特別な人だけの能力ではなく、 誰もが持っている「感じる力」だというお話をしました。 けれど、 そう聞いても、 「私にはそんな感覚はない」 と思われる方もいるかもしれません。 もしそう感じているなら、 ひとつお伝えしたいことがあります。 それは、 感覚がないのではなく、 眠っているだけかもしれないということです。 赤ちゃんや小さな子どもは、 とても感覚的に生きています。 誰が好きか。 どこが安心するか。 何が心地よいか。 頭で考える前に、 感覚で判断しています。 例えば、 赤ちゃんが生まれた時、 たくさんの看護師さんに囲まれていても、 母親と看護師さんを間違えることはありません。 目も見えない、 言葉も理解していないはずなのに、 匂いや声、 ぬくもりなどを感覚的に感じ取り、 「この人が安心できる存在だ」 とわかっているのです。 それほど私たちは本来、 感覚を使って生きている存在なのです。 ところが成長するにつれて、 私たちは少しずつ、 感覚よりも正解を優先するようになります。 「気のせいじゃない?」 「考えすぎだよ」 「そんな根拠はあるの?」 そう言われるたびに、 感覚よりも、 頭で考えることを信じるようになっていきます。 私たちは、 間違えないことを学びます。 正解を選ぶことを学びます。 けれどその一方で、 自分が何を感じているかよりも、 何が正しいかを優先するようになります。 すると、 本当は感じていたはずのものを、 自分で打ち消す癖がついてしまうのです。 例えば、 なんとなく気が進まない。 そんな時があったとします。 けれど、 「そんなこと言っていたらダメだ」 と自分に言い聞かせる。 そして結果的に、 無理をしてしまう。 後になって、 「あの時の違和感は正しかった」 と思った経験がある方もいるかもしれません。 実は、 こうしたことは珍しくありません。 私たちは、 感覚を失ったのではありません。 感覚を無視することに、 慣れてしまっただけなのです。 私は能力開発を、 新しい力を身につけることだとは思っていません。 むしろ、 本来持っていた感覚を思い出していくことだと思っています。 それはまるで、 長い間使っていなかった筋肉を動かすようなものです。 最初は感覚がわかりません。 けれど、 使い続けることで戻ってきます。 サイキックセンスも同じです。 特別な修行をしたから目覚めるのではありません。 突然、 何かが見えるようになるわけでもありません。 まずは、 自分の感覚に気づくこと。 そして、 その感覚を否定しないこと。 そこから始まります。 「なんとなく気になる」 「なんとなく安心する」 「なんとなく違和感がある」 そんな小さな感覚こそが、 サイキックセンスの入り口です。 多くの人は、 大きなサインを探そうとします。 けれど実際は、 とても静かで、 とても自然なものです。 だからこそ、 見逃してしまうのかもしれません。 感覚は、 消えたわけではありません。 なくなったわけでもありません。 ただ、 長い間使われずに、 静かに眠っているだけなのです。 もしあなたが、 「私には能力がない」 と思っているなら、 まずはその考えを手放してみてください。 そして今日一日だけでも、 自分の「なんとなく」に耳を傾けてみてください。 そこには、 忘れていた感覚との再会が待っているかもしれません。 次回は、 「見えないものは存在しない?」 をテーマに、 私たちがなぜ 「見えるものだけが真実」だと思ってしまうのか をお話ししたいと思います。 愛と感謝をこめて 翔陽
