自分の見える世界と、他人の見えてる世界って、一緒なのかな?と小さい頃から疑問だった珠歌(シュカ)です。 こんにちは。こんばんは。 なーんだか哲学的小道でも歩いてんのか?ってくらい難しい事ではなく、普通に、私の内側からの眼を通して見えてるものが、皆んなと同じじゃなかったらどうしよかな?と、漠然なとした不安があったんですよ。 例えるなら、皆んなは赤っていうけど、私にはオレンジとか緑とか違うものに見えるというか。 それに醜悪だなぁと顔にも出てるような人を、周りの人は、あの人はほんとに善人よねとか。 そういう時は、昔から、母にだけコッソリ言うと、 『今は、黙っとこうね。(口に出すなよ。)』 と言われてたので、あぁ、そーなのか。と、思ってました。 まぁ、大人になったら、わざわざ、指摘して喧嘩売りまくる事はしませんが。 皆さんもありませんか? 『みんなでいると、楽しいね!また集まろうね』(え?楽しくないよ?義理できたんだよ?) とか 『僕ら、運命なのかもな…』(えー?私の運命勝手に決めないで。) とか。 まぁ、個人の主観もあるだろうけど、見え方、感じ方って人それぞれ。 だから、ひとまとめにされちゃうと困っちゃう。 まぁ、きっとそんな時は、薄ーく微笑んでる方も多いと思いますが。 でもね。 たまーには、自己主張してもいいんじゃないかな?と、思うんです。 子供みたいに、好き!嫌い!とは言わないまでも、 『へー。そーなんだ。』 『そんな風に思ってたんだねー。』 なんてことくらいは、言ってもいいのでは。 そりゃ圧倒的に空気を悪くしちゃうかも〜って不安もありますが、明るくケロッと言っちゃうと案外かどがたたないことも。 無理して合わない人たちや、環境に自分を置いておかなくてもいいんじゃないかな?と思います。 『絶対ここじゃないと生きていけない!!』 って事はありません。 そりゃ自分で選んだからには、それから先は流されるだけではなく、自分で選び取っていかなきゃいけないってことも増えてくるけど、自分の人生人任せにしないって時も、あっていいかなー。 今、はぁ。ってため息ついてる世界があるのなら、そしてそのため息に気づいてくれそうな人がいないなら、次の世界に行ってもいいんじゃないかな。 自分を大事にして欲しいなと、ふと思った珠歌でした〜。
