いつもご相談頂きありがとうございます。 このパワーストーンはおそらく翡翠だと思います。私は普段は人が所持していたパワーストーンは頂きません。でもこれは、大切な方から頂きました。 ここからは私の思い出話です。 この翡翠は50歳年上の友達から頂きました。ここでは【おばあちゃん】と書きますが、私は「50歳年の離れた友達だよ。」とおばあちゃんに伝えていたので普段は「○○さん」と名前で呼んでいました。 私が31歳の時に出会いました。コーヒーショップで一人でコーヒーを飲んでいたら、おばあちゃんから話しかけられたのが出会いです。携帯電話の使い方を教えたのがきっかけです。その時に電話番号を交換したいと言われました。誰かに関わると言うことは責任がうまれるので、一瞬迷いましたが「一人暮らしだし不安なんだろうな。袖振り合うも多生の縁っていうし、ま、交換するか」と電話番号を交換しました。 私はおばあちゃんとの出会いから、日々の出来事を当時流行っていたSNSの日記に書いていました。1年半くらいだったかおばあちゃんとの交流は続けていました。おばあちゃんは一人暮らしでしたので、私が心配して連絡するのが日課でした。 高齢の方です。認知症に似た症状も気になってきました。 おばあちゃんの様子が心配になってからは、私は当時会社勤めもしていたので、お弁当を二人分つくり、【朝電車で隣の駅のおばあちゃんの家に届ける→帰宅→シャワー浴びる→犬の世話をする→会社に行く→会社終わる→おばあちゃんの家にお弁当箱取りに行く→帰宅】を毎日何ヵ月も繰り返していました。それも全てSNSの日記に書いていました。 私は電話番号を交換した時点で、こういう事態も頭にはあったし、「こうして差し上げたい」と思うと、それを続けてしまうので、正直クタクタになってもいましたが、私が続けたいから続けてました。 高齢で一人暮らしの人で、尚且つ私を頼ってくれているのに、放っておくことができなかったのだと思います。 その時にSNSの日記を見ていた人が「市の民生委員さんに相談するといいよ。これ以上ひとりで背負う必要はない。」とアドバイスをくれました。 結果、市役所の人と民生委員さん、おばあちゃんと私の4人で面談をし、おばあちゃんは無事に市の施設に入ることができました。 「50歳年の離れた友達だよ。」は、おばあちゃんが泣きながら「私はあなたにたくさん迷惑かけてる。申し訳なくて。申し訳なくて。」と言った時に、私がおばあちゃんを抱きしめながら言った言葉です。 「なぁに泣いてるの?私と○○さんは友達だよ!私ね、友達の為なら何でもするの。私達は50歳年の離れた友達でしょ!だから、泣かないで。謝らないでよ。」と伝えました。 タイトルの【それなりに】は、私がおばあちゃんから頂いた言葉です。 私が仕事で疲れていたら「人間ってね、頑張って生きていれば、それなりに、幸せになるよ」と教えてくれました。 写真の翡翠もその時にくれました。 「あなたに何も買ってあげられないけど、これ貰ってくれる?あなたを守ってくれるから。」と渡してくれました。 おばあちゃんが施設に入ってからは会っていません。私達は赤の他人です。個人情報保護の観点からどこの施設にいるかは教えてはもらえませんでした。 それでも私は、二人で撮った写真と手紙を市役所に届けました。担当の方にも見てもらいました。そうしたら、「確かに受け取りました。必ず渡します。詳しくは言えませんが、○○さん、施設に入った後こう言ってました。「ここは寒くもない。夏も暑くはない。お腹もすかせなくていいし、天国みたいなところだね」って言ってましたよ。」と教えて下さいました。 「ここは暑くもない、寒くもない、、、」の言葉からわかるかもしれないけれど、本当に大変な状況でも前向きに笑顔で生きていらっしゃいました。 高齢の一人暮らしのおばあちゃんが一生懸命生きている姿を見て、「この人は強いな」と何度も学ばせて頂きました。だから私もおばあちゃんにお弁当を作り続けていたんだと思います。 そのおばあちゃんが「人間ってね、頑張って生きていれば、それなりに、幸せになるよ」って言っていたから、そうなんだろうなと、私は思っています。 マザーテレサさんが1984年に来日された時に、【日本人はインドのことよりも日本の国内の心の貧しい人々への配慮を優先して考えるべきです。】という言葉を残しています。 これは、経済的に貧しいことを意味しているのではなく、「身の回りの方で、困っている人はいませんか?淋しい思いをしている人はいませんか?泣いている人はいませんか?どうぞできることでいい。手を差しのべてください。」という意味です。 ほんの小さな優しさや心配りは、もしかしたら、直接誰かを救えはしなくとも、誰かの笑顔に繋がるのではないかと思います。 私に民生委員さんのアドバイスをくださった方はいつもSNSを通し私とおばあちゃんを見守ってくださっていました。私もおばあちゃんも、見守ってくださる人がいたから、生きていられたのだと思います。 御堂
