人は様々な状況で自分の生まれ出た事に課せられた使命があるのではないかと思いたい……ですね。 それは自分自身が探せていない自身の価値を見出したい、何かしら自身に特別性が欲しい…というような、何かを天から与えられている特別な存在でありたいという願望なのでしょう。 しかしそれは価値や特別な何かを自身の人生で見つける努力をせず、既に与えられていて、それを解る者から聞き出して自身の価値としようという少し怠慢な仕業に思えてなりません。 しかし本当は生まれ出た時にもう使命は賜っているのです。 多分その使命を聞けば不満に思うのでしょうが、それは、 自身の人生を生き活きよ! という使命であり、それは当たり前のように思え特別性は無い様に思えるからでしょう。 殆どの方が応えを聞いてガッカリしたように、生きてるんだから生きていくのは当たり前!そんな事じゃなく、自分がこの世に生まれ出た意味を知りたいのだと言われます。 しかし、それは自分で人生を生き活きる中で創り出し探し出し巡り合う中で感じ取って行くものなのです。 生まれた意味は、生き活きる為に生まれ出た!という事です。 特別性はその人生をどう生き活きているか…どんな人生にして行きたいか、何を為し成したいのかを考え夢見ながら、その方向へと進もうと努力する、両親より授かった才またはDNAの働きから来る固有の才を見つけ出して才能として磨き、それを自身の才として形として行く、発して行く機会を作り出す努力と意欲、夢を実現しようとする強い意志を示した者に宿るものに他なりません。 しかし才能が何もなく生まれついたと、自身の夢さえ持たず、探し出す努力もせず、意欲も出さず、どうせこんなモノだと漫然と流れのままに生きて来て満足できない人生に、何か課せられた使命がある筈!そこに辿り着けないでいるだけ!自分はその使命を知ってこそ!と他力本願となり自身の使命とやらを指し示してくれる何かへと走り出し安易にすがり結局絶望的にすらなる人もいれば、自身を騙してでもそれを使命と思い込もうとする人もいる。 しかしそれでは、すがったモノの利益のみで、求めた自身の才とはかけ離れて行くばかり……。 これは自分が自身を諦め切った姿に他なりません。 与えられた使命があった筈! って、これは自身が人生を選ばず、漫然とこうだから、両親が才能に恵まれてないからとか、社会的な範疇に自分が成せていないからとか、能力発揮以前に自分を拒絶し自身の魂を馬鹿にして蔑んでいるから…… そういう自分を憐れむ以外何もしなかった方々に、生まれて来た時から、生き活きる他に根本的な使命はないですよ!と真剣にお伝えしたいです。 取り巻く環境の中で何も見いだせなかったあなたは、では他の分野への挑戦はしましたか? この世にはあらゆる多彩な分野があり、まだ分野としてすら認識されていない才の領域もあります。 自身の環境以外にある、そういう世界を垣間見ようとすらしなかったのではないですか? 自分を諦め憐れむ前に、広く拡がる様々に自身の可能性を試してみるべきです。 生まれながらに使命があり否応なしにその運命に従わざるを得ない的な自身の価値を求める人に共通することは、自分とって未知の分野に挑戦する事、その分野に触れる事すら勇気がなくて、または面倒くさくて絶対に踏み出さない所です。 様々に言い訳をして自分が今の自分の枠を領域を出ない、出る勇気さえ意欲さえ持たず、与えられた天から降ってくる使命とやらにすがりつき得られず、それさえ示されれば冒険をしたのだと、その使命に真っしぐらに準じたのだと自身の怠慢を省みず、社会のせい、親のせい、何も持たず生まれた自身のせいにして不満をそのままに生まれ持った良き性格さえ失っていく…… そんな貴方に貴女になって欲しくなくて諦めて欲しくなくてこれを書きました。 誰にも限界はなく、誰にも等しく意欲と欲望は与えられています。 ただ、運命はどの両親の遺伝子を貰い、どういう環境で生まれい出るか!に関連し、それが、魂が選んで生まれ出でたのか、または両親や環境を選べず生まれ出でたのか!の思想は、生きている人の様々諸説唱えた説法を信じる自由はあるので、今その信仰には触れないでいきますが、どんな状況で生まれたとしても、そこに神または運命が全てを支配する事はありません。 その環境でどう生き活きるか、その環境以外の何かを求めるかは生まれ出たその者の知性や考え方、勇気と努力に準ずるからです。 運命というものは、生まれ出たその先からは、その人物の思考により決定されていくからです。 勿論、環境や親の教え、社会的地位の環境もあるでしょうが、それをどう受け入れ思考し自身を形成して行くかはその人物により違って来ます。 突出した才能に恵まれた者にしても、それは自分の求めるモノと違うと感じ惑う者もいましょうし、才を見出せない者、自ら才を感じられない者、その意欲さえ持たない者達が、生き活きている価値に何ら変わりはないのです。 では、その運命は神から、魂から与えられたもの!だったのでしょうか?? 単に与えられ、そこに才を展開しただけではない!!筈ですね。 環境と理解する人と、そこにその才を見せつけ、その後にその才を発展させていく努力をした者が勝ち得た才能なのです。 天才、天賦の才と羨もうが、それを認めさせ発揮し持続した努力によるものなのです。 決して運命に操られ成し得たものではありません。 自身の運命そのものは、生まれ出た環境から自身が創り上げて行くものなのです。 生まれ出た環境で自身の才を限定し蔑み、どうせ自分はこんなものだと自身を決定しているのはご自身なのです。 私は何の為に生まれ出たのですか?あった筈の使命は何だったのですか? 生きた意味は何だったのですか?……… 思考し選べる人間として、せっかく生まれ出たというのに、自身をダメと諦め切って何もせず流れに任せた自身への無責任な人生の最終地点で、この質問がなされます。 まだ死んでもいないのに!まだ死の宣告すらされていないのに!! 自分が自分を見出そうとせず、どこに可能性がありますか? 運命も使命も自身が決意し努力し周りを巻き込み創り上げて行くもの!なのだから……… 自分の生まれた環境を呪い自身を諦める前に、自分の生き活き方は自分自身が認める!!で良いのではないですか。 それが社会的に貢献できているものであってもなくても、個人的に誰かに影響したものであってもなくても…… 自分の価値を自身が認める!まで努力し成し遂げた人生であるのなら、それがただ何かを愛する為だけであっても、その価値は充分なのではないでしょうか。 今、宇宙の運命やら自分の運命やらに課して、ご自身の無気力に応えを得ようとされている方々もおられますが、自分が生まれ出た!という価値に目覚めてください!! 生まれ出た使命は、その生が愛情により求められたものであろうが無かろうが、先ずはその遺伝子を継承し存在したという所に、あなたの使命はあるのです。 そこには、その遺伝子を受継ぎ何かを成す人生であって欲しいという、その遺伝子を成せるものに昇格させて欲しいという魂の意志が込められています。 親に子供とされ、こう成って欲しい、こうあって欲しいという育ての親すらない、その栄養を得られずに育った人たちにも同様に、この生き活きよという使命はありますが、これは本人よりも、それをした両親、周りに大きな問題があります。 しかし、自分はこうだから!と自身を決めつけていても逆効果にしかなり得ません。 才能とは、自身を否定し!その自身が求めるものに究極的に接見する事で、周りにどう思われようが関係ない!!という自身の世界を構築出来る筈の勇気ある者、意欲ある者が到達する世界なのです。 それが社会に受け入れられようが、受け入れられず貧困となろうが!!の覚悟です。 次に自身が絶対的に良いとしたものが受けられない条件を考えてみるべきです。 時代にそぐわない事も自分よがりな事も様々考えられ即した思考も必要とはなって来ましょうが、そこでご自身の表現力と勇気、意欲を脇立てて頂く必要があります。 神はこの先を必ず救い奉るを約束されて下さっています。 生まれ育ち自身をそこに存在する者として認識出来る人、またはそこに存在してないかも…とする消極的な人共に生まれ出でた条件を見直して欲しいです。 あなたは、紛れもなくこの世に生まれ出た存在なのです!! この世に生まれ出でるだけの条件を満たして、あなたは生まれて来たのです。 それだけは紛れもない事実。 子がどう思おうが母が散々苦しい思いをして子を産み落とした、望まれて生まれていようが望まれていまいが、それはあなたに関係ないです。 多分社会的名声を得れば、いかにも最初からあなたを肯定していたようにされるでしょうし、その他であれば違う評価を得て行かれる事でしょう。 しかしそれが何を保障してくれますか? ご自身の未来を想像し、その為のムチャブリ!だって自分を活かす事なのだから、小さくまとまり過ぎず機運を感じ突き進んで欲しいです。 そして、自由に発想し救うべくを救ってください!と願わずにはいられません。 面倒くさらず、自尊喪失にならず、引っ込み思案にならず、自分なんか!なんて思わず、勇気を持って、思ってもいない、想像打にしない新しい分野に挑戦し自分の可能性を是非とも探して頂きたい次第です。
