私は、むちゃくちゃ本を読むのが好きでした。高校時代、学校で借りられる本の上限は3冊。それでも足りなくて、授業中にも読んで、休み時間にも読んで、毎日5冊。終業式では読書件数がぶっちぎりの一位になって、ちょっと気まずい思いをしたのを覚えています。 そんな私が大人になってから昔の物語を読み返すと、子どもの頃とは違うところに目がいくようになりました。 「……あれ?これ、結構怖い話じゃない?」 昔話って、実はなかなか容赦がありません。 たとえば、日本昔話の「かちかち山」。子どもの頃は、悪さをするタヌキをウサギが懲らしめるお話として読んでいた人も多いと思います。でも、改めて内容を考えてみると、かなり激しい。 「猿蟹合戦」もそうです。蟹をだました猿に対して、仲間たちが集まって仕返しをする。勧善懲悪のお話ではあるものの、大人になって読むと、その仕返しの激しさに驚きます。 そして、イソップ童話も負けていません。 「アリとキリギリス」は、働くアリと遊んでいたキリギリスのお話。子どもの頃なら、「ちゃんと準備しておこうね」という教訓として受け取ります。 でも、よく考えてみると、冬になって食べ物がなくなったキリギリスに対する結末は、かなり厳しい。 「オオカミ少年」もそう。嘘を繰り返した少年は、本当にオオカミが現れたとき、誰にも信じてもらえなくなります。「嘘はいけない」という教訓は分かりやすいけれど、その代償はかなり大きい。 そう考えると、昔話やイソップ童話の残酷さは、単純に「怖い話」というだけではありません。 昔の物語には、人間の欲、嫉妬、欲望、嘘、油断、裏切り。そういうものが、かなりストレートに描かれています。 物語を通して、「こういうことをすると、こういう結果になる」ということを伝えていたのでしょう。 そして面白いのが、子どもの頃には「悪い人が罰を受ける話」として読んでいた物語が、大人になると少し違って見えること。 「この人は、なぜこんなことをしたんだろう」 「本当に悪いのは誰なんだろう」 「もし自分がこの立場だったら、どうするだろう」 そんなことまで考えるようになります。 昔話は、ずっと同じ場所にあるのに、読む自分が変わると見えるものまで変わる。 子どもの頃には怖かった話が、大人になって読むと、人間の弱さや寂しさを描いた話に見えることもあります。 そして、昔は何とも思わなかった一場面が、今になって妙に心に残ることもある。 昔話やイソップ童話が長く残っているのは、単なる「教訓」だけではないのでしょう。 そこに描かれている人間の感情が、今を生きる私たちにもちゃんとつながっているからです。 久しぶりに、子どもの頃に読んだ昔話を開いてみる。 昔は気づかなかった「もうひとつの物語」が、きっと見えてきます。 開露-kairo-
